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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)3040号 判決 1963年10月31日

原告 山上忠政

被告 板橋藤一郎

主文

被告は、原告に対し、東京都板橋区清水町七二番地の一所在宅地三四〇坪三合六勺のうち、別紙第一図面イ、ロ、ハ、ニ、ホ、へ、ト、イでかこんだ部分の土地五〇坪を引渡すべし。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求原因として、

一、原告は、戦前から、被告所有の東京都板橋区清水町七三番地(旧町名志村清水町四五〇番地)所在の宅地七二坪(以下旧借地という)を被告から賃借して、そこで米穀商を営んでいたが、昭和二五年三月一六日豊島簡易裁判所において大要左の通りの訴訟上の和解が成立した。

(一)、原告は、被告に対し、旧借地の借地権を昭和三五年三月一六日放棄すること。

(二)、被告は、原告に対し、被告所有に係る東京都板橋区清水町七二番地の一(旧町名東京都志村清水町一五七番地)所在宅地五〇坪を、期間二〇年賃料は地代家賃統制令に基づく統制賃料とするとの条件にて昭和二五年七月一日より賃貸すること。

(三)、原告が第二項の賃借権を第三者に譲渡又は転貸する場合は、被告はこれに同意すること。

二、右和解当時、右借地五〇坪を含む東京都板橋区志村清水町一五七番地の土地の面積は、三一五坪三合六勺であつたが、右借地五〇坪は、原告が借地権を放棄した旧借地が別紙第一図面表示の如く、旧中仙道に面し原告が営む米穀商に適していたところ、この代償的な土地として右五〇坪を賃借することとなつた経緯から、右三一五坪三合六勺の土地のうち、やはり旧中仙道に面している元交番跡の空地部分という合意があつた。しかるところ、右一五七番地宅地三一五坪三合六勺の土地は和解後同町一五五番地の土地と合併され、一五七番地の一宅地四一〇坪三合六勺となり、その一部が同番地の八に分筆され、一五七番地の一の土地は宅地三四〇坪三合六勺となり、ついで同土地は町名地番の変更により板橋区清水町七二番地の一宅地三四〇坪三合六勺(別紙第一図面点線で囲まれた部分)となり、本件借地五〇坪はその一部を成している。そして、旧一五七番地の土地は、和解当時から地番を異にする現在清水町七二番地の六の土地と別紙第一図面イトの二点を結ぶ線で接し、和解当時から別紙第一図面記載の通り旧被告住家が旧中仙道に面して旧一五七番地の土地内に建つており、旧交番跡の空地というのは右旧被告住家の北側土台石と右イト線の間の土地部分であるから、本件借地五〇坪は旧一五七番地の土地のうち右旧被告住家の北側土台石とイ点からト点方向に延長した線ではさまれた土地のうち、旧中仙道に借地の西側が面するようにして位置どられることにならざるをえない。

更に、旧被告住家の利用上の便宜(汲取など)を考えると同住家の北側土台石から北へ三尺の間隔を有する土地を残しておくのが合理的であり、これらの点を考慮すると、和解の時には借地五〇坪の土地については、その北側は別紙図面イト線をト点方向へ直線で延長した線、西側は旧中仙道に面した同図面イロ線、南側はロハニホを結んだ線、と三方の境界が定まつており、これが確定している以上東側の境界は計算上同図面ホへ線とならざるをえないのである。したがつて借地五〇坪は和解当時すでに本件土地と定まつていたのである。

三、仮に、和解当時賃貸借目的土地が確定していなかつたとしても少くとも前記の如く、借地五〇坪は旧一五七番地の土地のうち右被告住家の北側土台石とイ点からト点方向へ延長した直線によつて挾まれた土地のうち旧中仙道に借地の西側が面するようにして位置どられることは定つていた。しかるところ、原告は被告に対し和解後二〇回以上借地の範囲を確定するため立会を求めて来たが、被告はこれに応じなかつたので、原告は被告に対し昭和三六年八月一日到達の内容証明郵便で、書面到達後五日以内に借地五〇坪の確定のための測量に立会うよう催告したが、被告はこれに応じなかつた。原告は旧一五七番地の土地のうち、イ点からト点方向へ延長した直線と旧被告住家の北側土台石とによつて挾まれた土地の範囲内において本件賃貸借の目的にしたがつて本件土地五〇坪を確定した。

四、よつて、原告は、被告に対し、前記賃貸借契約にもとずき、本件土地五〇坪の引渡を求める。

と述べた。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、

原告主張の請求原因事実第一項の事実は認める。同第二項の事実は否認する。和解条項第二項は、東京都板橋区志村清水町一五七番地所在宅地五〇坪と定められているが、同番地宅地は、右和解成立当時三一五坪三合六勺の広さがあり、そのうち五〇坪を賃貸するというものであり、右総土地中どの部分の土地五〇坪であるか特定しておらず、原告が前記裁判上の和解によつて取得した権利は、被告に対し、双方合意の上前記宅地中五〇坪の部分を特定して賃貸借契約を成立させることを要求しうる内容をもつた債権であるにすぎない。しかして現在の段階においては原被告間には右の合意は存しないからいまだ目的土地は確定していない。かように目的土地が確定していない場合は、賃貸借契約は成立しないものと云うべきであるから原告の賃借権も存しない。同第三項の事実中原告主張のとおりの内容証明郵便が到達したことは認める。前記の如く賃借目的土地は双方の合意のみによつて決められるものであり原告が一方的に決定しうるものではない。同第四項の事実は争う。

と述べ、

抗弁として

仮に、賃貸借契約が和解の時成立しているとしても、原告が他所へ米穀店を出したため本件土地を自ら使用する必要がなくなつたので、昭和二九年八月八日被告と原告の代理人弁護士加久田清正間で、原告の賃借権を他人に譲渡し、その譲渡代金を原被告間において六対四の割合で分配するとの契約を締結した。しかしてこの契約によつて原被告間の賃貸借契約は合意により解除されたものというべきである。したがつて被告はそれ以後原告に対しては借地土地を引渡す義務はなくなつた、

と述べた。

原告訴訟代理人は、被告の抗弁に対し、抗弁事実を否認する。

と述べ、

再抗弁として

一、仮に、被告主張のとおりの契約がなされたとしても、同契約は、原告が豊島簡易裁判所において和解をするに当つて代理人として依頼した加久田清正弁護士が、和解後、土地を多数所有し金力を持つ被告と相通じる仲となり、右加久田弁護士と被告とが共謀して、もつぱら原告の利益を侵害し被告の利益のみを企画してなされたものであるから、右の契約は公序良俗に違反して無効である。

二、仮に、然らずとするも同契約は原告の真意に非ざる意思表示であり、このことを被告は知悉していたのであるから無効である。

と述べた。

証拠<省略>

理由

昭和二五年三月一六日豊島簡易裁判所において原告、被告間に、

(一)  原告は、被告に対し、被告所有にかゝる東京都板橋区志村清水町四五〇番地所在宅地七二坪(旧借地)に対する借地権を昭和二五年三月一六日放棄すること。

(二)  被告は、原告に対しその所有にかゝる東京都板橋区志村清水町七二番地の一(旧町名東京都志村清水町一五七番地)所在の宅地五〇坪を、期間二〇年、賃料は地代価額統制令に基く統制賃料とする条件にて、昭和二五年七月一日より賃貸すること。

(三)  原告が第二項の賃借権を第三者に譲渡又は転貸の場合、被告はこれを承認すること、なる訴訟上の和解が成立したことは当事者間に争がない。成立に争のない甲第八号証及び弁論の全趣旨によれば、和解成立当時被告所有の板橋区志村清水町一五七番地の土地は、三一五坪三合六勺の広さがあつた事実、及び右土地は昭和二八年一二月三日同町一五五番地の土地と合併され一五七番地の一宅地四一〇坪三合六勺となり、更にその一部が同番地の八に分筆されて、一五七番の一の土地は宅地三四〇坪三合六勺となり、ついで、同宅地は町名地番の変更により東京都板橋区清水町七二番地の一宅地三四〇坪三合六勺となり本件土地五〇坪はこれに含まれており、その位置、形状は別紙第一、二図面の<第二図面省略>の通りであることが認められる。なお、以下便宜のため、和解成立当時の事実を述べる場合においても、特段の必要のない限り、現町名番地を使用する。

原告は、右和解条項並びに和解成立の際、原被告間に借地五〇坪は、東京都板橋区清水町七二番の一宅地三四〇坪三合六勺のうち、旧中仙道に面する元交番跡の空地部分という合意があつたことにより、本件賃貸借の目的土地は、本件土地と特定していたと主張し、後に認定する通り、右和解による賃貸借は、原告の旧借地の放棄と交換に成立したもので、旧借地が旧中仙道に面し、そこで原告が戦前米屋を営んでいたことから、新借地は、表通りに面し、米屋を営むに便宜な土地との合意はあつたけれども、原告主張の如き元交番跡の空地部分という合意はなかつたものであるから、右和解当時借地五〇坪が本件土地に特定していたとの原告の主張は理由がない。

被告は、右和解条項によれば、借地五〇坪は特定していないから、賃貸借契約は成立していないと主張するけれども賃貸借は使用貸借と異り諾成契約であり、後に認定する通り、本件賃貸借においては借地五〇坪は、特定し得るものであり、履行不能のものではないのであるから、右和解により、原被告間に、東京都板橋区清水町七二番の一宅地三四〇坪三合六勺のうち、五〇坪につき、賃貸借契約が成立し、賃貸人たる被告は、原告、に対し右三四〇坪三合六勺のうち五〇坪を引渡し、これを使用収益させる義務を負担したものであること明らかである。したがつて被告の右主張は採用できない。

そこで、本件賃貸借の借地五〇坪は如何にして特定されるかが問題となる。いうまでもなく、賃貸借契約には、民法債権総則に定める種類債権或いは選択債権の規定の適用がある。果して、被告の負担した右債務は、種類債務か選択債務か或いはこれに類似する債務と認めるべきものか、目的物の特定は、何時如何にして行われるかについて考えてみる。

成立に争いのない甲第七号証及び原告、被告各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すると次の事実を認めることができる。

本件土地五〇坪及びこれを含む東京都板橋区清水町七二番地の一宅地三四〇坪三合六勺並びにその附近の地形、使用状況は、別紙第一図面の通りであり、前記和解当時の東京都板橋区志村清水町一五七番地三一五坪三合六勺は、南側経界及び北側経界が右図面表示の右七二番の一と多少のずれはあるが大部分一致していたものである。原、被告が前記和解をするに至つた経緯は、被告は戦前から旧借地を原告から借りて、そこで米屋を営んでいたところ、戦災に遭い、しばらく米の配給所に勤務し、昭和二四年頃、旧借地に店舖を新築して、再び米屋を開業しようとしたが、旧借地は、訴外植木庄策らの借地となつて、それらの者に占有されていたので、同訴外人らに対し旧借地明渡の訴を提起し、被告は、右訴に参加して、和解が成立したものである。右経緯から、右和解成立にさきだち、原、被告間に、原告が借地権を放棄する旧借地は、旧中仙道に面していたのだから、新借地も原告が米屋を営むのに都合のよいよう表道路に面した土地とする旨の合意が成立していたが、それ以上具体的な話合はなく新借地を元交番跡の空地とする旨の合意はなかつた。しかして和解成立当時の旧一五七番地土地附近の使用状態は、別紙第一図面記載中七二番地の方から本件土地部分附近は、その上に建つていた防護団の詰所と交番の建物が戦災で焼失したまま空地となつており、七二番地の二の被告の新住居もまだ建つておらず、都民銀行用地・三和銀行用地も賃貸されておらず、便所、物置も存在せず、これら部分はいずれも空地であり、被告の旧住家及び志村一六会場建物は当時から存在していた。

右の通り認めることができ、これを覆えすに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、前記和解条項及び原、被告間の和解条項外の合意によつて定つた借地五〇坪は、表道路に面し、かつ原告が米屋を営むに適当な土地というのであるから、そのような土地は、本件七二番地の一宅地三四〇坪三合六勺内に相当個所において求めることができる訳であり、被告の負担した右七二番地の一宅地三四〇坪三合六勺のうち右制限に従つた借地五〇坪を原告に引渡して使用収益せしむべき債務は、民法所定の種類債務及び撰択債務の定型には当てはまらないけれども、右認定の事情の下になされた本件賃貸借においては、選択債務類似の債務と考え、目的物の特定については、選択債務の規定を準用するのが相当である。したがつて。債務者である被告は、表道路に面すること、原告が米屋を営む目的であること、並びに土地利用目的に副う合理的判断の下に本件七二番地の一宅地三四〇坪三合六勺内において、借地五〇坪を特定して、これを原告に引渡して使用収益せしむべき義務がある。もし、原告が相当期間を定めて、右特定の催告をしても、被告がこれに応じない場合は、原告において右条件及び合理的判断の下に借地五〇坪を特定し、その引渡を被告に請求することができるものといわねばならない。

原告は、被告に対し昭和三六年八月一日被告に到達した書面により到達後五日以内に借地五〇坪の確定のための測量に立会うよう催告したことは当事者間に争いがなく、被告が右催告に応ぜず、借地五〇坪を特定しなかつたことは被告の自認するところである。

成立に争いのない甲第一号証、弁論の全趣旨によりいずれも真正に成立したものと認め得る同第九号証の一ないし四(同号証の一及び三は森景剛作成)及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、原告は、被告が右催告期間を徒過したので、土地測量士竹下孝雄を現地に同行して借地五〇坪を別紙第三図面<省略>のように確定し、その後右確定土地に誤りがあつたので右測量士をして別紙第一図面の本件土地の如く訂正した、しかして、本件土地五〇坪は、西側経界は旧中仙道であり、北側経界は七二番地の六及び七二番地の二との経界であり、南側経界は、被告旧住家の北側土台地に沿つて三尺の間隔をとつたものであり、東側経界は、右三方を確定した上面積を五〇坪となるようにして測定した線であることを認めることができ、これに反する証拠はない。右認定によれば、本件土地五〇坪は、本件賃貸借における前記の諸条件に合し、特定されるべき借地であるというべきである。

原告は、昭和三八年二月二日午前一一時の本件第六回口頭弁論期日において、借地五〇坪を別紙第三図面の如く特定して被告に対してその引渡を求め、その後本件口頭弁論期日において、右図面に示す借地五〇坪を本件土地の如く訂正したことは本件記録に徴し明白である。してみると、原告が右第六回口頭弁論期日においてなした意思表示により借地五〇坪は本件土地五〇坪に特定し、被告は、原告に対し、これが引渡義務を負担するに至つたこと明らかである。

次いで、被告の抗弁について判断する。

成立に争いのない乙第一号証の一、二によれば、原告の代理人弁護士加久田清正と被告との間に、昭和二九年八月八日、前記和解に基く原告の借地権を原、被告協力して他へ譲渡すること、その譲渡代金の六割を原告の四割を被告の所得とする旨の契約が締結されたことを認めることができ、これに反する証拠はない。原告は、再抗弁として、右契約は、公序良俗違反であるとし、右和解において原告の代理人であつた弁護士加久田清正は、和解成立後被告の金力に屈し、被告と通じて原告の利益を侵害する目的で右契約を締結したと主張するがこれら事実の認むべき証拠はなく、また、和解において原告が借地権の譲渡につき予め承諾を得ていたからといつて、その後譲渡代金の四割を被告に与える旨の契約をなすことは必らずしも不当なことではない、その他右契約が公序良俗に反するものと認むべき何らの理由はない、更に原告は、右契約は、原告の真意にいでたものでない旨主張するけれどもこれに副う原告本人尋問は措信し難く他にこれを認めるに足りる証拠はないから、原告の右契約に対する再抗弁は全て理由がない。しかしながら被告の抗弁は、原被告間の右契約、すなわち、原告の賃借権を原被告協力して、他に譲渡しようという契約によつて、原被告間の賃貸借契約は合意解除によつて消滅したというにある。ところで、右契約は、原告の賃借権の存在を前提とするものであり、右賃借権を原告が他に譲渡しない限り、原告は、賃借権者たることを失わず、原被告が賃貸借を合意解除する旨の意思は右契約内容には存在しないから、被告の抗弁は理由がない、更に右契約以外に右契約に際し、原被告間に右和解に基く賃貸借を合意解除したことについては主張立証はない。

よつて、原告の請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西山要)

第一図面<省略>

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